- 江本孟紀さんの「野村克也をしのぶ会」での弔辞wwww 投稿日 2021年12月12日 19:41:22 (阪神タイガースちゃんねる)
1: 風吹けば名無し 2021/12/11(土) 20:17:38.90 ID:PCCY7wFrM
あなたに初めて会ってから、来年で50年になります。長い付き合いでしたが、思い返してみれば私があなたに褒められたのはたった1度しかありません。
昭和47年、あなたは自主トレ中の南海ホークスの中百舌鳥球場にでっかいリンカーンで乗りつけてきました。あれには驚きました。私はその1年前にドラフト会議で東映に入団し、その年の暮れに南海にトレードされてきたばかりでした。キャッチャー兼監督だったあなたは、0勝4敗の初対面の私に「俺が受ければ10は勝てる。先にエースナンバーを付けとけ」。そういって16番をくれました。
忘れもしません。私は高校で甲子園の土を踏むことができず、大学でも社会人でも不完全燃焼でドラフト外でプロに入りました。その2年目の春にあなたから「借りができたな」と言ってもらいました。そのときやっと野球選手になれたな、プロでやれるかもしれないなと自信が芽生えました。
ただ、あなたに褒められたのは後にも先にもあの一回きりです。そのあとどれだけ勝っても、プレーオフや日本シリーズで勝ち投手になっても、引退して解説者、評論家になってからも一度も褒められた記憶はありません。あげく、三悪人とか言われていました。
ここ神宮球場では何度か大げんかもしました。あなたは阪神の監督で、解説者の私が投手起用を恐る恐る批判したときでした。あなたは次の日、神宮球場の三塁ベンチで、私が来るのを待ち構えていましたね。阪神のピッチャー陣の名前が書いた紙を突き出して、「どこに使えるピッチャーがおるんや、見てみい!」と開口一番、えらいけんまくでした。結局シートノックが始まるまで、ベンチで言い争いをしていましたね。最下位続きの阪神で選手のやりくりに苦労していたのかもしれませんが、ここ神宮でヤクルトに負けたくなかったのかもしれません。
大阪のなんばパークスに南海ホークスのメモリアルギャラリーがあります。南海を辞めたときの諸々のいきさつがあって、今まであなたの写真は一枚も飾られていませんでした。そこでファンのみなさんの寄付で、今年になってようやく写真や功績が展示されるようになりました。
鶴岡さん、杉浦さん、皆川さん、ブレイザー、空の上で南海の先輩と仲良くやっていますか。その横にサッチーがいるでしょう。悪口の言い合いをしているかもしれません。そのうち私もまた入れてください。
野村さん、空の上で私の声を聴いてくれていますか。強かった南海の4番バッターで正捕手で優勝監督。そんな大先輩の弔辞を私が任されるなんて本当におこがましいです。今日の弔辞はいかがでしたか。やはり褒めてくれないかもしれませんね。弔辞を読んだことをいつか空の上の三塁ベンチで一緒に話ができたらいいです。その時はボヤキもなし、ケンカもなしで、2度目のお褒めの言葉をください。野村さん、本当に今までありがとうございました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b579475b8435ec80758b8040ac907e1980448ee4
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Source: 阪神タイガースちゃんねる