- 若手時代のノック練習を見て「とんでもない外野手になる」 虎のプリンス伝説・SHINJYOメモリアル 投稿日 2022年1月6日 20:02:12 (阪神タイガースちゃんねる)
普通、選手は「どこ打ってるんですか」「打ち損じか」「捕れるわけがない」とあきらめたり、次の打球が飛んでくるのを待ってスピードを落とすもんやけど、アイツは違った。そこから加速して「ギリギリで捕れるんじゃないか」と判断し、毎回突進してくる。その走り方のバネを見たら、こいつはとんでもない外野手になるんかなと思った。ほかの選手とは違い、捕球に対する意欲は一番。不可能なのをむしろ楽しんどった感じや。
当時2年目やったかな? 新庄にはショートへのコンバート案があった。阪神OBの吉田(義男)さん、球界OBの広岡(達朗)さんと名ショートでともに結果を出してきた重鎮2人が、「新庄なら大型ショート」になれると言い、コーチ会議でやらそうと決まったんやけど、ワシは反対やった。新庄は広い外野で好きなように走り回る方がモノになる、大きく育つ、と。肩のよさ、走力、どれをとっても一級品なんやから。
それでも結局はほかのコーチも重鎮2人に追従して、当時の中村(勝広)監督もショートでいこう、となった。ワシはずっと「この男は内野では意味がない」と思ってモヤモヤしてたけど、人生はわからんもんや。最終的にはほかの選手に故障者が出たりして外野手での起用となり、あれだけの選手になったというわけや。
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https://news.yahoo.co.jp/articles/a0c8ad5735abdbacce720df68edfb6fbc066cc57
あの頃の阪神は口出し過ぎのOBとコーチが選手潰すのが多かったからなぁ。
ちなみに川藤氏は現役の後半グローブすら持参せずベンチに入っていたり、延長戦で選手が足りなくなった時に、監督コーチにどこ守れる?って聞かれて、バースのグローブを借りて一塁を守る等、話には事欠かない人気選手でした。
川藤は若い頃、俊足強肩で好守の外野手だった。故障だったか怪我だったかで打撃一本になったけど・・・。
ちなみに、日米野球で来日したメジャーリーガーが、日本のナンバー1外野手に選んだくらいらしい。
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Source: 阪神タイガースちゃんねる